ぷらすです。
「シン・ゴジラ」が12/16(日)に地上波で放送されましたが、みなさんはご覧になりましたか?
2004年公開の「ゴジラ FINAL WARS」から12年ぶりの日本版ゴジラという事もあって、本作がゴジラ初体験という人も多いのではないかと思います。

というわけで、今回は「シン・ゴジラ」と監督の庵野秀明について語りたいと思いますよー!



「ゴジラ」とは


今更ゴジラについては語るまでもなく、また僕よりもずっと詳しい人は沢山いるので、ここではサラッとその歴史を振り返るに止めたいと思います。

第一作目の「ゴジラ」は、終戦からわずか9年後の1954年11月3日に公開され、空前の大ヒットとなった元祖“怪獣”映画です。
監督 は本多猪四郎、特殊技術は日本特撮の父、円谷英二。
この二人がタッグを組み、当時社会問題となったビキニ環礁での核実験と、第五福竜丸の被爆事件をベースに、「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という企画を立て、当時としては破格の7000万円(当時の通常予算は2000万)の予算で製作された超大作だったんですねー。

「ゴジラシリーズ」はこの第一作が空前の大ヒットとなったことで、次々と続編が作られるわけですが、「大怪獣ゴジラ」というキャッチーなキャラクターが子供達に人気を得たことから、シリーズはゴジラが敵怪獣と戦うという内容の子供向け映画になっていき、またテレビの普及などで興行も伸び悩むようになり、「メカゴジラの逆襲」(75)を最後に一度シリーズの幕を閉じます。

そして9年後の1984年公開の「ゴジラ」で、ゴジラは再び人間の敵として復活。
平成ゴジラシリーズとして「ゴジラ対デストロイア」(95)まで計7作が制作されます。

その後、ハリウッド版「GODZILLA」(98)を挟んで、翌年「ゴジラ2000 ミレニアム」として三度復活。このミレニアムゴジラシリーズは2004年公開の「ゴジラ FINAL WARS」まで6本を制作。

そこから10年を経て、2014年に再びハリウッド版「GODZILLA ゴジラ」が公開され大ヒット。
これを受けて2016年、「エヴァンゲリオン」の庵野秀明(総監督)・平成ガメラシリーズで高い評価を得た樋口真嗣(監督・特技監督)のタッグで制作されたのが本作「シン・ゴジラ」なんですねー。

庵野秀明とは


アニメ「エヴァンゲリオン」で社会現象を引き起こしたアニメ監督の庵野秀明ですが、彼は「ラブ&ポップ」(1998年)・「式日」(2000年)・「キューティーハニー」(2004年)など、実写映画も監督しています。

また、遡ればガイナックスの前進となる「DAICON FILM」の仲間たちと制作した自主制作映画「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」でも、総監督(と、ウルトラマン役)を務めているんですよね。

ちなみに、この「帰ってきたウルトラマン~」は庵野秀明を語るのには重要な作品で、その後の庵野作品の原型と言える作りになっていたりします。

「シン・ゴジラ」では、それまで着ぐるみだったゴジラを初めてCG化。
これは、ある種実験的作品だった「キューティーハニー」やCGも取り込んでいった「エヴァンゲリオン」での経験を通して、その方がより理想的な画作りが可能になると確信したのではないかと思います。

また、キャラクター造形や、役者の演技を極限まで抑えさせた演出などは、アニメ制作の技法をそのまま実写に応用したのでしょう。
「シン・ゴジラ」=「エヴァンゲリオン」という声も、この庵野演出をファンが「庵野アニメ的」と感じたから出たのだと思いますねー。

「3・11以降」だからこそ制作出来た「新・ゴジラ」


「シン・ゴジラ」を語る上で、3・11の東日本大震災を抜きにすることは出来ません。
初代ゴジラは、まだ戦争や東京大空襲・ニ度の原爆の記憶が残っていた時代、水爆実験という日本人にとってショッキングな事件をヒントに制作されています。

劇場で「ゴジラ」を観た観客は、恐らく大空襲や原爆の生々しい記憶を呼び起こされ、恐怖したと想像できます。
しかし、その後は初代ゴジラありきで「続編」を制作する他なく、ゴジラ映画は平成・ミレニアムとリブートされる際も、全てが「初代ゴジラ」の続編にならざるを得なかったのです。

しかし2011年の東日本大震災と原子力発電所事故を経験し、日本は広島・長崎への原爆投下以来のショックを受けます。
そして、それに呼応するように、“映画作家”たちは3・11以降の映画を制作していきます。

当初「ゴジラ」に対してあまり乗り気でなかったという庵野監督が、「ゴジラ」の監督を引き受けたのも、3・11以降という時代だからこそ「ゴジラ」をリセット出来る、初代ゴジラの続編ではない「新・ゴジラ」つまり「新しい“日本の”ゴジラ」を作れるという勝機を見出したのでしょう。

「シン・ゴジラ」は庵野秀明のクリエイター論


「シン・ゴジラ」は、観客やクリエイターだけでなく、評論・言論畑の人間にもここ数年で一番語られてきた作品ではないかと思います。
大ヒット作であり3・11を背景に持つ作品だけに、普段は映画を語らないような人にも語りやすかったんでしょう。
その中には庵野秀明の「政治観」や「組織観」に言及する評論もあったように思いますが、個人的には庵野監督がこの作品に込めたのは日本の「政治」云々ではなく、日本のクリエイター論なのだと思います。

つまり、過去のヒット作のリメイク・リブートや、人気コンテンツのアニメ・映画化など、確実に「元が取れる」作品しか作れず、方々から口出しされて思い通りの作品が作れないクリエイターの現状や待遇に対して、庵野監督は「作品は現場に任せろ! クリエイターナメんな!」と、本作を通して宣言しているのではないかと。

事実、本作の製作過程で配給元の東宝とかなりやりあったという噂もあり、その結果、最終興行収入82.5億円という大ヒットを飛ばし、その実力を証明してみせたんですね。

劇中での牧教授の手紙にある「私は好きにした。君らも好きにしろ」という文言は、まさに庵野監督から次世代のクリエイターへのエールであり、宿題でもあるのだと思います。

日本のゴジラ


本作が歴代ゴジラの中で一番素晴らしいのは、最後にゴジラを倒すのが武器でも秘密兵器でもなく、電車と働く車ということです。
なぜなら、戦後日本を発展させたのは、武力ではなく、経済力とそれを支えた中小企業によるモノづくりの力であり、在来線爆弾やゴジラの口に冷却剤を流し込む建設機械部隊やコンクリートポンプ車隊はそんな日本の象徴なんですね。

劇中、竹野内豊演じる赤坂が、「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた」と言うシーンが
ありますが、庵野監督は「シン・ゴジラ」で日本の今までとこれから(への希望)を描いているわけです。
そこでハッピーエンドのまま終わらせずに、ゴジラの尻尾で終わるところが庵野さんらしいですが。

他にも書きたいことは山ほどありますがキリがないし、そういうのは詳しい人が書いてくれているのでここでは言及しません。

とにかく、「シン・ゴジラ」は最高に面白いので、まだ未見の人は「ただの怪獣映画」だと食わず嫌いしないで、是非一度観てほしいです。

ではではー(´∀`)ノ

この記事を書いた人 青空ぷらす

今日見た映画の感想(映画感想ブログ)
note(その他、色々書いてます)

スポンサーリンク