ぷらすです。


ざっくりと映画史の流れを知ることで、古い映画を楽しむポイントが分かるのではないかとスタートしたこの企画。
前回は、ハリウッドが隆盛を極め徐々に衰退し、日本映画が世界の映画祭を席巻した1930~50年代をご紹介しました。
今回は、映画界に「新しい波」がやってきた1960~70年代をご紹介します。

新しい波


1950年代末期から1960年代初頭にかけて、フランスでヌーヴェルヴァーグと呼ばれる映画運動が始まります。
ヌーヴェルヴァーグを日本語にすると「新しい波」で、物凄くザックリ言うと「インディペンデント映画」です。



ジャン=リュック・ゴダール/勝手にしやがれ(1960)

1930年代のフランスでは、大型セットにおけるスタジオ撮影を基本で、遠近などに関して誇張を行なう事が多かったそうです。
内容的には「パリを舞台に厭世的な都市のドラマを描く。設定は労働者階級で、しばしば犯罪性に伴われた不幸に終わるロマンティックな物語が伴う」作品が多かったらしいんですね。で、これらの映画を総称して「詩的リアリズム」と呼んでいて、それらがフランス映画の主流となっていたようなんですね。
また、映画監督になるには撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積みを重ねるのが、当時は普通でした。

対してヌーヴェルヴァーグは、下積み経験のない若い監督達がスタジオを飛び出し、ロケ撮影中心、同時録音(それまでは撮影が終わったあと役者がアフレコで自分の演技に声を入れていた)、即興演出、ライトを使わず自然光での撮影など、それまで培ってきた映画の「常識」を覆えしたんですね。
また、内容的にもアドリブ演技や引用などを積極的に取り入れたドキュメンタリー的なリアリティーを用いて、旧態然とした倫理観や常識を破壊する作品が多くつくられていったのです。

そこにはもちろんカメラなどテクノロジーの進化もありますが、それまでの旧態然とした映画界に対して若い世代の映画人たちが反旗を翻し、それまで商業映画でタブーとされてきたことを片っ端からやっちゃったわけです。いわば反抗期みたいなものですねw

つまり、「映画とは――云々」なんていう老害に若い映画評論家や監督が「うるせーー!ι(`ロ´)ノ」とキレて、自分たちが好きなように映画を作り始めたのがヌーヴェルヴァーグと考えてもらえばいいんじゃないかと思います。

そんなヌーヴェルバーグの監督立ちの中でも有名なのが、映画批評家から監督になったジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーの二人で、彼らの作った映画は世界中の若い映画人たちに多大な影響を与え、また、テレビの普及によってメジャーの映画会社の力が弱まってきた事もあって、ヌーヴェルバーグの波はイギリス(ニュー・ウェイヴ)、日本(松竹ヌーヴェルヴァーグ・日本アート・シアター・ギルド/ATG)、ドイツ(ニュー・ジャーマン・シネマ)など、世界中に広がっていくのです。

アメリカン・ニューシネマ


1960年代、前回でも触れたスタジオシステムの崩壊や赤狩り、テレビの普及による観客の減少。
また米国によるベトナム戦争への介入による政治不信や、黒人の人権を守るための公民権運動、ヒッピームーブメントが巻き起こります。

当時はまだ情報規制もなく、ベトナムの悲惨な状況や、無抵抗の黒人デモに白人警官などが暴行を加える映像がテレビで流されるなか、ハリウッドはヘイズコードに沿って「古き良きアメリカ」を描き続けていたので、客離れが進みハリウッドのメジャー会社は一時瀕死の状態まで追い込まれちゃうんですね。

そこに登場したのが、ゴダールやトリュフォーのヌーヴェルバーグ作品。
彼らの作品観たさに劇場には観客が殺到しますが、実は観客の多くはヘイズコードによって禁止されていた女性のおっぱいやヌードが観たかったということみたいですw

一方、ヌーヴェルバーグにハリウッドの若い映画人たちが強い影響を受けて作られたムーブメントが「アメリカン・ニューシネマ」です。

それらの作品の傾向をざっくり一言で言うと、「体制に反抗する若者が負ける。もしくは死ぬ」というもので、当時のアメリカの若者たちはそんな登場人物に共感し大ヒット、今も名作として語り継がれる作品が次々と作られていくのです。
その作品群を上げていくと、

「俺たちに明日はない」(1967)



世界恐慌時代の実在の銀行ギャング、ボニーとクライドの無軌道な逃避行と結末を描いた作品。

「卒業」(1967) 



年上のロビンソン夫人に肉体を弄ばれる若者ベンジャミンの精神的葛藤と自立を描いた作品。
教会で花嫁(ロビンソン婦人の娘)を奪って逃げるラストシーンが有名すぎて、結婚を反対された若い恋人たちの逃避行だと勘違いする人が続出。

イージー・ライダー(1969)



コカインの密輸で得た大金をハーレーのタンクに隠し、二人の若者が旅の途中で迫害される作品。

タクシードライバー(1976) 



ベトナム帰りのタクシードライバーが、世直しのため大統領を暗殺しようとしたり娼婦の少女を助けたりする作品。

などなど。
アメリカン・ニューシネマのムーブメントは約10年間続き、若い役者や監督が次々と世に出ることになるんですね。
一方で時代が進むと、暗い内容が多かったニューシネマに、若者たちがだんだん飽きてきて徐々にアメリカンニューシネマは廃れていくんですね。

パニック映画


アメリカン・ニューシネマ終焉と被るように、ハリウッドでは1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」を皮切りにパニック大作ブームが巻き起こります。
1974年公開の「タワーリング・インフェルノ」を頂点とするこのブームでは、派手な特殊効果や映像表現などで客の目を引く、現在のハリウッド型大作の雛形となったと言われています。


スティーブン・スピルバーグ/激突(1972)

1972年のテレビ映画「激突」でデビューしたスティーブン・スピルバーグは、この流れに乗って1975年公開の「ジョーズ」で一躍世界に名前を知られる監督になっていくんですね。

アメリカン・ニューシネマの終焉と新古典主義の台頭


そんなアメリカン・ニューシネマに止めを刺したと言われている2本の映画が、シルベスタ・スタローン主演の「ロッキー」(1976)とジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」(1977)だと言われています。


シルベスタ・スタローン主演/ロッキー(1976)

「ロッキー」は当時無名だったスタローン自身が脚本を書き上げて持ち込んだ企画で、自分がロッキー役を演じることを条件に映画化。
最初の脚本はアメリカン・ニューシネマの流れを汲んだ内容でしたが、監督のジョン・G・アビルドセンの判断で、ラストシーンを変えて大ヒットします。


ジョージ・ルーカス/スターウォーズ(1977)

ジョージ・ルーカスは青春映画「アメリカン・グラフティー」(1973)のヒットを受けて、大好きなスペースオペラ「フラッシュゴードン」の映画化を企画するも頓挫し、当時子供向けと言われていたSF映画を、最新の特撮技術で作りあげた「スターウォーズ」(1977)を公開。ご存知のように空前の大ヒットとなるんですねー。

同年スピルバーグもSF映画「未知との遭遇」で大ヒットを飛ばし、その後、数々のSF映画や「スーパーマン」などのヒーロー映画、アクション映画、ホラー映画などの娯楽ジャンル映画が次々に公開されていくのです。


というわけで、今回はここまで。
次回は、1980年代以降の映画についてご紹介していこうと思います。
ではではー(´∀`)ノ

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この記事を書いた人 青空ぷらす

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