ラ・シオタ駅への列車の到着/リュミエール兄弟

ぷらすです。

近年公開された新しい映画と何十年も前に公開された古い映画を観比べたとき、やっぱ新しい映画の方が観やすいし面白いじゃないですか。

エイゼンシュタインとか黒澤とか、小津とか、コッポラとかキューブリックとか、トリュホーとかゴダールとか。映画好きな人が超褒めてるから観てみたけど、全然ピンと来なかったってことはないでしょうか?

それは何故かというと(もちろん、古い映画は画質も荒いし映像が今と比べてショボイってのもあるけど)今と昔では「映画の文法」が違うからなんですね。

作られた時代背景や、制作を取り巻く状況・撮影機材や編集などのテクノロジーなどと、作品の内容は密接に関わっています。
つまり、映画というのは「時代を映す」コンテンツなのです。

だったら逆に、作品が作られた時代や背景が解かれば、古い映画を楽しむためのポイントも分かるのではないかと思うんですよね。

というわけで今回から数回に分けて、押さえておきたい映画の歴史についてザックリとご紹介しようと思います。

映画を最初に発明したのは?


世界で最初に「映画」を発明したのが誰かについては諸説あるんですが、連続した写真を動かすという映画につながる技術は19世紀後半から多くの人々によって研究されていました。
そうした積み重ねを経て、1893年、発明王エジソンがキネトスコープ(映写機)を一般公開。
続く1985年にパリで開催された科学振興会で、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフ・リュミエール(現在のカメラや映写機と基本的な機構がほぼ同じ複合機)での試写をします。

つまり、単純に年代で比べればエジソンが映画の発明者ってことになります。
が、キネトスコープはスクリーンに映写されるのではなく箱の中をのぞき込み一人で観る形になっていて、今風に言うなら映画というよりVR的な感じだったらしいんですね。
対して、リュミエール兄弟のシネマトグラフ・リュミエールは現在と同じスクリーンに映写するシステムでした。

そしてもう一人、フランスの発明家ルイ・ル・プランスも同時期に映写装置を開発していたんですが、透明で柔らかいフィルム材料が手に入らず一時、頓挫したことでエジソンに先を越されたと言われています。
しかし1888年10月、ラウンドヘイの庭の場面とリーズ橋の場面  を単レンズカメラとイーストマンの紙フィルムを使い映像として撮影したそうで、これはリュミエール兄弟やトーマス・エジソンといった他の発明家より数年早いと言われています。

以上のことを踏まえると、世界で初めて映画を発明したのはルイ・ル・プランスで、世界で最初の現在のような「映画」を上映したのがリュミエール兄弟がというのが有力な説のようです。


その後、リュミエール兄弟がパリのグラン・カフェというカフェで有料公開したのは、駅のプラットホームに蒸気機関車がやってくる情景を撮影した「ラ・シオタ駅への列車の到着」、自分が経営する工場から仕事を終えた従業員達が出てくる姿を撮影した「工場の出口」など数分のショートフィルムが12本。


工場の出口/リュミエール兄弟

初めて「ラ・シオタ駅~」の映像を観た人たちが、迫る列車に轢かれると思って慌てて逃げようとしたという話は有名ですが、最近のでは「さすがにそれは話を盛っていんじゃね?」というのが定説みたいですねー。

一方、日本では1896年、大阪で日本初の試写が行われたという記録があるそうで、初期の映画は日本では別名「活動写真」と呼ばれ、日本独自の上映手法として上映中の場面に合わせて解説を行う「活動弁士」と言う人がいました。
ちなみに、日本初の劇映画は1899年「稲妻強盗/清水定吉」だそうです。


ハリウッドが映画の都になったのはエジソンのおかげ?


20世紀の初め頃、映画の中心地はニューヨークとシカゴでした。
しかし、特許を持つエジソンと大手映画会社が手を組んだ「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」が、カンパニーに所属出来ない中小映画会社に高額な権利料を請求。
探偵を雇って違反者を片端から摘発したそうです。

映画製作者たちはカンパニーの目が届かない場所で制作していましたが、やがて、カンパニー側の追っ手が来てもすぐに国境を越えて逃げられるようにメキシコに近い西海岸のハリウッドが映画作りの拠点となったのだそうです。

もし、エジソンががめつくなかったら、今頃ハリウッドは「映画の都」じゃなかったのかもしれなかったんですね。

サイレント映画黄金時代へ


この当時の映画は、白黒映像で音声の入ってない「サイレント映画」でした。
最初は単なる情景描写でしたが、やがてストーリー性のある「作品」が登場しはじめ、セリフや状況説明はフィルムの間に字幕で挿入され、BGMや効果音は映写に合わせて生のオーケストラが演奏していました。

1902年、フランスの映画製作者ジョルジュ・メリエスが、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画「月世界旅行」を発表します。
この映画を簡単に言うと、ロケットに乗って月に行ったら宇宙人に襲われるという内容で、世界初のSF映画(というかファンタジーに近い)であり、特撮映画でもあります。


月世界旅行/ジョルジュ・メリエス

1903年にはアメリカでも、エドウィン・ポーター監督による物語性のある作品『大列車強盗』が制作・公開されます。
こちらは世界初の西部劇と言われているらしいですね。

1906年にはジェームズ・スチュアート・ブラックトン監督による『愉快な百面相』が制作されます。
この作品は実写ではなく、世界初のアニメ映画と言われているそうです。


愉快な百面相/ジェームズ・スチュアート・ブラックトン

1910年代になると、アメリカの映画監督D・W・グリフィスが「國民の創生」(1915年)、「イントレランス」(1916年)、「散り行く花」(1919年)などの作品でズームアップや、異なる場所で同時に起きている2つ以上のシーン交互に見せるクロスカッティング、瞬間的にいくつもの短いショットを繋げて視覚的効果をもたらすフラッシュバックなど、現代に続く映画の撮影技法を“発明”(それまでは固定されたカメラの前で役者が演技していた)したと言われ、(「國民の創生」で人種差別的な内容が大問題になったりしつつも)彼は後に「映画の父」と呼ばれます。

1920年には旧ソ連が世界に先駆けて国立映画学校を設立。
モンタージュ理論が打ち立てられ実験が行われます。

モンタージュ理論とは、ざっくり言うと二つの異なるフィルムをつなぎ合わせる技法で、例えば無表情な人の顔の間に、赤ん坊の映像を挟むと無表情な人が微笑んでるように見え、葬式の映像を挟むと悲しそうな顔に見えるみたいな事。
まったく関係ない二つのフィルムをつなぎ合わせることで、観ている観客が勝手に意味を見出すという理論なんですね。

モンタージュ1

モンタージュ1
モンタージュ2
モンタージュ2

このモンタージュ理論を効果的に使った名作として知られるのが旧ソ連のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督「戦艦ポチョムキン」(1925年)です。
この中で一番有名な「オデッサの階段」のシーンは、後に数多くの映画でオマージュされていますが、特に有名なのはブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」(1987年)じゃないでしょうか。


戦艦ポチョムキン(オデッサの階段)/セルゲイ・エイゼンシュテイン

また、喜劇王チャップリンやバスター・キートンなどの喜劇映画、1927年には「SF映画の原点にして頂点」と言われた未来都市を描いたドイツ映画「メトロポリス」が公開されるなど、サイレント映画は隆盛を極めますが、同年初の長編映画『ジャズ・シンガー』の公開以降、トーキー映画(セリフや音が入った映画)が急速に普及したことで、1930年代にその幕を閉じることになるのです。

こうした、時代の移り変わりを描いた名作ミュージカルが、ジーン・ケリー主演の「雨に唄えば」なんですね。



というわけで、今回はここまで。
次回は、1930年代以降の映画黄金期~についてご紹介していこうと思います。
ではではー(´∀`)ノ

参照元:

ウィキペディア 

#96山田玲司のヤングサンデー|『とにかくこれだけは抑えとけ!〜レイジなシネマアーカイヴ・第一幕「ざっくり映画史編」開帳!!』 
   


この記事を書いた人 青空ぷらす

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