『おおきな木』  シェル・シルヴァスタイン 村上春樹訳 あすなろ書房
おおきな木
シェル・シルヴァスタイン
あすなろ書房
2010-09-02





   村上春樹さんが訳した絵本です。
 一読しただけだと、「なーんだ」みたいな本なんですが、再読するにつれてじわじわ効いてきます。
 物語は、ひとりの少年が成長して行くのに対して、おおきな木はまったく変化がなく、いつも暖かく少年を見守っている、という話なのですが……。

 泣けます。

 この木の、無償の愛は、ほとんど母親が息子に向ける愛情と変わりません。
 少年が、無邪気に木で遊び、木が大好きで、木と一緒に成長していく姿は、ほのぼのとしたタッチで描かれていて、
「そうだよね。それってあるよね」
 とうなずきながら読み進めていくのです。

 ところが、少年は、いつまでも少年ではいません。
 木とは違って、成長が早いのです。
 さんざん遊んだ木のことを忘れてしまい、木を置き去りにして自分の世界に飛び出していくのです。

 絵は、孤独な木を描いています。葉もなく、枝もなく、幹だけの木。
 これが泣ける。この孤独が判るから、泣けるんです。

 それでも、帰ってきた少年に、木は恨み言をいうでもなく、自分と一緒に遊んで幸せになりなさい、と誘います。
 ところが、少年は、葉っぱで遊ぶよりもおかねがほしい、と言います。
 そこで木は、葉っぱとリンゴしかないから、リンゴを売っておかねを儲けて幸せになりなさい、と言うのです。

 さて、少年は、幸せになったでしょうか?
 成長しておかねの意味を知り、木のプレゼントしてくれたリンゴを使って、おかねを儲けてなにか得るものがあったでしょうか?

 人間というモノは、木と違うことが、この絵本で語られています。
 人間は、成長します。
 いい意味でも、悪い意味でも。
 幸せになりなさい、と木は言いますが、木は自分が幸せであることを、疑ったことはありません。
 あくまでも自分よりも少年を優先させるのです。
 この愛情の美しさに、こころを打たれないひとはいないはずです。

 木の悲しみ、木のよろこび、そのそれぞれが身近にかんじられるのは、みんなひとりひとりに「母」の愛を知っているからなのかもしれません。
 食事を欲しがる子どもに、普通の親は蛇を与えたりはしません。
 家を欲しがる少年に、木は自分の身を削って、愛を注ぐのです。

 無償の愛と簡単にかたづけるには、あまりにおおきな愛情。
 たった数ページの絵本なのに、「少年」と「木」に自分の姿を見つけ出し、少年は自分自身だと身につまされるひともいるかもしれません。

 さいごの数ページは、達観ということをかんがえさせられてしまいました。
 老人となった少年と、なにもできなくなった木。
 あくまでも深い愛情に支えられて、わたしたちの人生は終わっていくのです。
 ―――いい人生、おくろうね。 


 あすにゃん
  猫とお菓子と広島がすきです!
 漫画家の たらさわ みちさんと 仲良しです。

 

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