『おおきな木』 シェル・シルヴァスタイン 村上春樹訳 あすなろ書房
村上春樹さんが訳した絵本です。
一読しただけだと、「なーんだ」みたいな本なんですが、再読するにつれてじわじわ効いてきます。
物語は、ひとりの少年が成長して行くのに対して、おおきな木はまったく変化がなく、いつも暖かく少年を見守っている、という話なのですが……。
泣けます。
この木の、無償の愛は、ほとんど母親が息子に向ける愛情と変わりません。
少年が、無邪気に木で遊び、木が大好きで、木と一緒に成長していく姿は、ほのぼのとしたタッチで描かれていて、
「そうだよね。それってあるよね」
とうなずきながら読み進めていくのです。
ところが、少年は、いつまでも少年ではいません。
木とは違って、成長が早いのです。
さんざん遊んだ木のことを忘れてしまい、木を置き去りにして自分の世界に飛び出していくのです。
絵は、孤独な木を描いています。葉もなく、枝もなく、幹だけの木。
これが泣ける。この孤独が判るから、泣けるんです。
それでも、帰ってきた少年に、木は恨み言をいうでもなく、自分と一緒に遊んで幸せになりなさい、と誘います。
ところが、少年は、葉っぱで遊ぶよりもおかねがほしい、と言います。
そこで木は、葉っぱとリンゴしかないから、リンゴを売っておかねを儲けて幸せになりなさい、と言うのです。
さて、少年は、幸せになったでしょうか?
成長しておかねの意味を知り、木のプレゼントしてくれたリンゴを使って、おかねを儲けてなにか得るものがあったでしょうか?
人間というモノは、木と違うことが、この絵本で語られています。
人間は、成長します。
いい意味でも、悪い意味でも。
幸せになりなさい、と木は言いますが、木は自分が幸せであることを、疑ったことはありません。
あくまでも自分よりも少年を優先させるのです。
この愛情の美しさに、こころを打たれないひとはいないはずです。
木の悲しみ、木のよろこび、そのそれぞれが身近にかんじられるのは、みんなひとりひとりに「母」の愛を知っているからなのかもしれません。
食事を欲しがる子どもに、普通の親は蛇を与えたりはしません。
家を欲しがる少年に、木は自分の身を削って、愛を注ぐのです。
無償の愛と簡単にかたづけるには、あまりにおおきな愛情。
たった数ページの絵本なのに、「少年」と「木」に自分の姿を見つけ出し、少年は自分自身だと身につまされるひともいるかもしれません。
さいごの数ページは、達観ということをかんがえさせられてしまいました。
老人となった少年と、なにもできなくなった木。
あくまでも深い愛情に支えられて、わたしたちの人生は終わっていくのです。
―――いい人生、おくろうね。
あすにゃん
猫とお菓子と広島がすきです!
漫画家の たらさわ みちさんと 仲良しです。
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