ぷらすです。

ご存知、世界的アニメ監督の宮崎駿監督のアニメを1作づつ語っていくこのシリーズ。
ただ、TV版も入れると作品が多すぎるので、宮崎さんの劇場作品に限定して語ります。
その第10弾となる今回は、公開後に色んな意味で話題になった『崖の上のポニョ』ですよー!

崖の上のポニョ(2008)




アニメーションの脱構築と総括


前作「ハウルの動く城」は内容的には賛否両論ながら、興行収入では「千と千尋の神隠し」に次ぐジブリ史上第2位の記録を樹立しました。
そんな宮崎さんが、「千と千尋の神隠し」以来7年ぶり原作・脚本・監督のすべてを担当したのが本作『崖の上のポニョ』です。

本作のモチーフとなったのは、アンデルセン童話の「人魚姫」ですが、構想段階では宮崎さんが好きな中川李枝子の「崖の上のいやいやえん」らしいものを考えていたようです。

ただこの作品、ストーリーの起承転結が明確ではなくて、伏線などもほとんどないんですよね。
また、劇中の天変地異についても理由が説明されることがなく、全体的に消化不良のまま物語が収束してしまうので、(僕を含め)本作を観たファンの多くは首をかしげたのではないでしょうか。

この点について、宮崎さんは
「ルールが何にも分からなくても分かる映画を作ろうと思った」

「順番通り描いてくと、とても収まらないから思い切ってすっ飛ばした」

「出会って事件が起きて、小山があって、最後に大山があってハッピーエンドというパターンをずっとやってくと腐ってくる、こういうものは捨てなきゃいけない」

等々語り、その一方でデジタル化が進むアニメ業界の潮流に逆行するように、

「紙に描いて動かすのがアニメーションの根源。そこに戻ろうと思う。もう一遍、自分たちでオールを漕ぎ、風に帆を上げて海を渡る。とにかく鉛筆で描く」

と、コンピューター(CG)を一切使わず手書きによって作画する意向を固めます。(ただし作画以降の彩色・撮影はデジタル)
背景やキャラクターのデザインは線を少なくシンプルにしつつも、波や水の表現を2Dの手書きアニメで表現することには相当な作画カロリーを使ったのだとか。

つまり、乱暴に言えばストーリー(のつじつまなど)は切り捨て、その分アニメーション本来の「絵が動く面白さ=アニメーション」の面白さで110分の映画を作ろうと試みたわけです。
まぁ、その試みが成功したかと言えば、残念ながら(僕を含めた)多くの観客には伝わらなかったわけですが……。

この傾向は「もののけ姫」あたりから徐々に現れてはいました。
その流れで見れば、宮崎さんはストーリーや設定にしろ、作画方法にしろ「日本アニメーションの型」を壊そうとしている事がわかります。
しかし、やりたい事・やろうとしている事は分かっても、それは作品の面白さとは別問題なんですよね。

どんなに凄い“アニメーション”を見せられても、それが映画である以上(ストーリーと映像の主・従は作家によって異なるけど)ストーリーと動きが両輪になって、初めて人の心が動くのではないかと僕は思うのです。

宮崎駿的「極楽浄土絵図」


以前観たポニョ製作のドキュメンタリーで、宮崎さんは「津波によって世界が海に沈む様子を、悲惨に描きたくない」というような事を話していました。
1973年の「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」でも、大雨によって大洪水になる様子をファンタジックに描いた宮崎さんなので、その時のイメージが本作の発想の原型になっているのかもしれません。
「ナウシカ」の回でも書きましたが、基本的に宮崎さんの考えの根底には終末思想があって「未来少年コナン」も文明が滅びた世界を舞台にしているし、「もののけ姫」にも文明の発達と滅びに向かう予兆が描かれていますよね。

本作では、海に飲み込まれ、海底に沈み大きなクラゲに包み込こまれた老人ホームの様子が美しく楽しげに描かれています。
ドキュメントでは、その老人ホームに住む車椅子のトキさんが、自分の母親がモデル、宗介は幼少期の宮崎さんがモデルではないかと言われていましたが、だとするなら、あの海底の中の老人ホームは宮崎さんが思う極楽浄土のイメージだったのかもなんて思ったりしました。

先見性


血の繋がりのないもの同士が小さなコミュニティーを作ってともに暮らす、いわゆる「擬似家族もの」は数年前から各国の映画で頻繁に取り上げられる、ある種のトレンドになっています。
本作で宗介は両親を「お父さんお母さん」ではなく名前で呼んでいるし、トキさんをはじめとした老人ホームに住む老人たちにとって彼は孫のような存在です。

そこにやってきた人魚のポニョを、母のリサや周りの大人たちは受け入れるのです。
それ自体は一見、(他人の子供でも大人は助けるという)昔ながらの日本の精神性を描いたようにも見えますが、前作「ハウルの城」と合わせて観ると昨今の「擬似家族もの」の先駆けとも取れるのではないかと個人的には思ったりするんですよね。(実際、宮崎さん自身も「今後は家族の有り様が変わっていくかもしれない」的な事を言っているし)

本作公開から3年後の東北大震災や原発事故などと重ね合わせてみても、宮崎駿という作家はある種の先見性を持っているのかもと思ったりします。(もちろんそれは、それまでの経験や若い頃に影響を受けた思想・物語からの発想なんでしょうが)

まぁ、それも「今にしてみれば」という話で、当時、本作の評価は散々で「宮崎駿は終わった」という人も少なくなかったんですよね。
しかし、この次の作品で宮崎さんは評論家やクリエイターを中心に高い評価を得ることになるのです。

というわけで、今回は「崖の上のポニョ」について語ってみました!
次回はいよいよ最終回『風立ちぬ』を語りたいと思います。(´∀`)ノ 

宮崎駿作品を語ってみる-9「ハウルの動く城」(2004)


この記事を書いた人 青空ぷらす

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