ぷらすです。

ご存知、世界的アニメ監督の宮崎駿監督のアニメを1作づつ語っていくこのシリーズ。
ただ、TV版も入れると作品が多すぎるので、宮崎さんの劇場作品に限定して語ります。
その第8弾となる今回は、今も日本歴代興行収入第1位で数々の映画賞にも輝いた『千と千尋の神隠し』ですよー!

千と千尋の神隠し(2001)




名実ともに宮崎駿の代表作


「もののけ姫」の後、心身ともに疲れ果て引退を宣言していた宮崎さん。
信州に持っている山小屋で毎年夏に行われるジブリ関係者の娘たちを招いての『合宿』を楽しみにしていたそうですが、静養のために訪れた山小屋に置いてあった少女漫画を読んで、次回作への意欲が湧いたのだそうです。


漫画に描かれているのはどれも恋愛ものばかりで、そこに不満を感じた宮崎さんは「山小屋に集まる子どもたちと同じ10歳の女の子が心に抱えているものや、本当に必要としているものは、別にあるのではないか」と考えました。

その後、スタジオジブリの企画検討会議での紆余曲折を経て、本作の製作担当である奥田誠治氏の10歳の娘をモデルにした千尋の物語を作ることになるんですね。

そうして公開された本作は、今も日本歴代興行収入第1位を守る大ヒットとなり、アカデミー賞アニメ映画賞を始め世界各国の名だたる映画賞に輝く、名実ともに宮崎駿の代表作となったのです。

同時に、前作「もののけ姫」以降の宮崎作品は、メッセージやテーマ性が強く打ち出されるようになります。
本作でも「危機に直面し、少女(子供たち)が生きる力を取り戻す」「言葉の持つ力」という二つの大きなメインテーマが込められているし、それは詰まるところ「アイデンティティ」についての物語なのだと思うんですね。
現代の日本に暮らす、子供達に贈るアイデンティティの物語。
だから、本作の舞台は日本なのです。

「湯屋」はキャバクラ!?


映画評論家の町山智浩さんを始め多くの人が語っている「湯屋は遊郭」という指摘。実はこれは当たっています。
建物や町並みのモチーフは道後温泉本館や、台湾の九フン(きゅうふん)と言われていますが特定のモデルはなく、提灯が並ぶなどのイメージは宮崎さんが学生時代に新宿の赤線地帯付近を通りかかったときに見た「赤いライトの光景」であり、お風呂が大浴場ではなく壁で仕切られているのは、鈴木プロデューサーがキャバクラ好きの知人から聞いたキャバクラ嬢とお客の話が元になってるのだとか。

宮崎さん自身は「日本はすべて風俗営業みたいな社会になっている」なんて尤もらしいことを言ってますが、もちろん湯屋が風俗店という事ではなく(まぁ女の子に体を洗わせるという意味ではある意味風俗ですけどもw)、あくまで「不思議の国」の美しさと怪しさ、怖さを出すために様々なイメージが複合的に入っているということなんでしょう。

なぜ千尋たちは「不思議の町」に迷い込んでしまったのか


映画冒頭、車の後部座席に横たわる千尋はいかにも無気力な感じですが、父親と母親もどこか投げやりな感じですよね。
父親は体格がよくて如何にも運動部出身のエリートっぽい感じだし、母親はキャリアウーマンっぽい“自立した女”といった感じ。そんな二人が田舎に引っ越してくるということは、(多分父親の方の)何らかの事情で都落ちしてきたのではないかという説が、個人的に一番しっくりきました。

そのせいで、千尋は友人たちと離れることになるし、母親も恐らく仕事を辞めるハメになっていたのではないかと。
で、それぞれが不満や失望を抱えながら車を走らせているうちに、知らず知らずに地元の人すら忘れているような、いわゆる「聖域」のような場所に迷い込んでしまったのかな? なんて思いました。

また「不思議の国」の門の前に道祖神が置かれていて、あの道祖神が「この世」と「不思議の国(神代の国)」の境目を示しているのではないかとも。

その後、神様の料理を無断で食べてしまった両親は豚になってしまいますが、これは料理を勝手に食べたこともそうですが、なにより神代の国に「料金を後で払えばいい」=正しい手順を踏まなくても帳尻が合えばいいという、人間のルールを持ち込んだ傲慢さに与えられた罰なのかもしれません。
神様は手順を守る事にはうるさいですからねw

カオナシとは


劇中に登場するカオナシは掴みどころのないキャラクターです。
千尋を気に入り何度もアプローチする姿や、自分に靡かない千尋に激昂する姿は、あからさまにロリコンのヤバイやつっぽいですが、実際はそうではなくて(宮崎さんの目から見た)現代の若者たちの象徴としてのキャラクターなんだと思います。

自分(アイデンティティ)を持っていないがゆえに心の中が空洞化していて、他社とのコミュニケーションが取り方が分からないから金や物を使って関係を築こうとする困ったちゃんですが、本質的には誰かと繋がりたいだけの寂しんぼなんですよね。

湯屋を現代社会や都会の縮図とするなら、彼(だよね?)はそこに溶け込めない人たちで、受け入れてくれる人や場所があれば(劇中では銭婆のところ)、本来の姿を取り戻せるわけです。多分。
同時に彼は「未来の千尋の姿」だったかもしれないわけで、カオナシを救うことは未来の自分自身(千尋)を救うことでもあったんじゃないかなと思ったりします。

振り向いてはいけない理由


作品終盤「トンネルを出るまでは振り向いてはいけない」と、ハクは千尋に対し言います。
これは日本の神話やギリシャ神話、旧約聖など世界中の逸話に登場する「見るなのタブー」を踏襲しているのでしょう。
「不思議の国=神代の国」に心を残すと現世に帰れなくなるというような理由なのだと思います。
そして、千尋がトンネルを出たあと振り返ると、門が変わっているのも現世に繋がっていた神代の国が閉じたことを意味しているんだと思います。

まとめ


本作は「日本版不思議の国のアリス」的な雰囲気の作品ですが、前作「もののけ姫」とテーマ的にはかなり近いものがあり、個人的には「もののけ姫」を子供向けに噛み砕いた物語が本作なのではないかと思っています。
同時に、宮崎さん自身がどう思っているかは分かりませんが、男の子のパズーが主人公の「天空の城ラピュタ」の女の子版というか、ラピュタと対になる冒険譚でもあり、そういう意味では、実に宮崎駿作品らしい作品と言えるかもしれません。

というわけで今回は「千と千尋の神隠し」について語ってみました!
この記事を書いた人 青空ぷらす

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