ぷらすです。

ご存知、世界的アニメ監督の宮崎駿監督。
そんな宮崎さんのアニメを1作づつ語っていくこのシリーズ。
ただ、TV版も入れると作品が多すぎるので、宮崎さんの劇場作品に限定して語ります。
その第7弾となる今回は、構想16年、制作に3年をかけた大作『もののけ姫』ですよー!

もののけ姫(1997)



引退宣言


「ルパン三世カリオストロの城」から「となりのトトロ」に至る4作で、「やりたかったことは一通りやった」宮崎さんでしたが、その後他社から持ち込まれた企画としてスタートした「魔女の宅急便」が大ヒット。ジブリはアニメスタジオとしてのブランドを確立します。
続く「紅の豚」は興業的にはヒットするものの、自身の「アニメは子供のためのもの」という信念に反する作品として、宮崎さん的には「嫌いではないがやってはいけなかった」作品だったようです。

そんな宮崎さんが次に取り組んだのが本作。
実に構想16年、製作期間3年、作画枚数14万枚以上という超大作で、宮崎さんが(1回目の)引退を発表したことでも話題になりました。

“最後の作品”として、宮崎さんが作り上げたのは、“日本を舞台にしたファンタジー”。
『「もののけ姫はこうして生まれた。」』によれば

1・子供たちの心の空洞

2・至る所に起こる差別

3・人間と自然との関わり

4・人間の憎悪の増幅作用、殺戮へ突き進む闘争本能

5・神秘主義と合理主義の対立

という、エンターテイメント作品向きではない5つのテーマを本作に盛り込んだそうです。

それまでは「起こった問題に一応の解決」を示して終了する映画のフォーマットを宮崎さんは覆し、この作品では人間の持つ業というか、解決出来ない“対立”を描き、安易な解決を示す事もしませんでした。

キャラクターそれぞれの背景


アシタカ

本作の主人公アシタカは、大和の戦いに敗れ北の地の果てに隠れ住むエミシ(蝦夷)一族です。
宮崎さんは彼らを、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈していて、いわば(もののけを含む)自然と共存している民として描いているんですね。

そこは、アシタカがヤックルと同じ食べ物を分け合う描写で表現されています。
しかし、村を襲おうとするタタリ神に矢を放ち、命を奪う事と引き換えに死の呪いをかけられてしまったことから村を出る事になるのです。

エボシ御前

タタラ場の長、エボシ御前は10代のころに奴隷として倭寇の親分のところに売られ妻になるも、親分を殺し財産を奪って戻り、一代であのタタラ場を作り上げました。
また国では戦が起きていて、戦に負けた側の女性は奴隷として売られる時代。
自身も奴隷だったエボシ御前は、そんな女性を買い取りタタラ場で職を与え、さらに社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者も受け入れています。

しかし、タタラバで鉄を作るということは鉄砲の材料を作ることでもあり、転じて奴隷の女性を作り出すという矛盾も抱えているんですね。

それでも、彼女がタタラ場を作ったのは、(もちろん働く人々の食い扶持を稼ぐ、もしくは女性立ちへの罪滅ぼしもあるでしょうが)病人たちに鉄砲を作らせ、女性たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪うことで、現状(のシステム)を打破し、更に労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることを目標にしているからなんですね。

その為に、森を破壊しシシ神とも戦うという強い意志を持っているのです。

サン

本作のヒロイン サンは、元々、森の神(=ナゴの守)に対するいけにえとして捧げられ、山犬のモロに育てられました。
もののけ側のサンにとっては、自分たちの縄張りである森を荒らす人間は敵であり、決して相容れない存在。
だから、彼女は「人間の大将」であるエボシ御前の命を狙うんですね。

また、本当かどうかは分かりませんが、実はサンはエボシ御前の娘であるという説もあるようです。

ジコ坊

小柄で身軽、正体不明のジコ坊の正体は天皇から、不老不死の力を持つと言われるシシ神の首を持ってくるという勅命を受けた「唐傘連」の頭領です。
つまりは、侍(強者)側の人間であり、目的のため侍やエボシ御前と共闘(というか使役させる)することになります。
しかし彼は、天皇の勅命を受けてはいるものの、身分的には弱者側の人間なんですね。

時代背景


本作の舞台設定は、おおよそ16世紀の室町時代ではないかと言われています。
照葉樹林文化論の示唆を受けた世界観を元にしていて、参考にしたのは中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』で、日本文化の基底が稲や稲作農民ではないことを明らかにする同書の内容が製作に大きく影響しているのだそうです。
また、鉄砲が急激に普及していることを考えると、室町時代に戦国時代を混ぜているのではという見方もあるようですね。

対立構造


つまり、本作は大きく分ければ「人間と自然(もののけ)の対立」という事になりますが、さらに人間同士でも「弱者(マイノリティー)と強者(マジョリティー)の対立」があり、もののけ同士にも対立があるわけです。それぞれに立場や言い分があり、互いに譲れないがゆえに生まれる対立を宮崎さんはこの作品で描いているんですね。

その上で、宮崎さんは誰かに肩入れするのではなく、アシタカという対立の外にいる少年のフラットな視点を通して、観客に見せています。
つまり、アシタカは唯一、どのコミュニティーにも属さない、観客と同じ視点を持ったキャラクターなのです。

この物語の構造は基本、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」と同じですが、本作では最後に結論らしい結論は出でないし、戦によって何かが変わるという事もありません。
どころか、戦いは終わったのではなく一時休戦でしかなく、今後何度でも繰り返されるであろうことが示唆されています。
それはそのまま戦争の歴史でもあり、宮崎さんは本作で「都合のいい解決」はせずに対立と紛争という「現実」をファンタジーに乗せてそのまま描いているんですね。

若者へのメッセージ


また、(おそらく)タタラ場の鉄で作られた鉄砲の銃弾を受け、タタリ神になった巨大なイノシシの神(ナゴの守)の呪い故郷を離れざるを得なかったアシタカ。
生贄として森に捨てられ、もののけとして生きなければならなくなったサンは、社会や国のシステム、戦争やテロなどのツケで理不尽な目に遭っている現代の若者たちに重ね合わせたキャラクターです。

自分は悪くないのに、何故か傷付けられていると感じている。マイナスの磁場のようなものを抱えている。その「心の空洞」に向かって「明るく元気に生きよう」「貧しさから抜け出して豊かになろう」と言っても通じない。こうした絶望、閉塞感を大きな歴史認識の中で捉え、考え直すことで「不条理な運命の中で生きる」ことを模索し、提示していく。(『「もののけ姫」はこうして生まれた。』)

という、宮崎さんから現代を生きる若者たちへのメッセージが、アシタカとサンの二人には込められているんですね。


本作を、「自然を大切にしよう」という映画だと思っている人も沢山いて、確かにそれもテーマの一つではあるんですけど、宮崎さんにしてみれば「自然との共存が理想的ではあるけど、人間にはそんなの無理じゃん」ていう諦観が常にあって、「(それがどんな運命に向かおうとも)人間は現状の中で(精一杯)生きていくしかない」という事を本作で伝えようとしてるんだと思います。

それは、同僚でライバルの高畑勲監督が「平成狸合戦ぽんぽこ」で描いたのと同じテーマで、宮崎さんなりのアンサーなのかも。なんて思ったりしましたねー。


というわけで今回は「もののけ姫」について語ってみました!
次回は、『千と千尋の神隠し』を語りたいと思います。(´∀`)ノ


この記事を書いた人 青空ぷらす

今日見た映画の感想(映画感想ブログ)
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