実は、ともったいつけるほどの話ではないが、私はいわゆる歴史オタクである。神社仏閣を見かければその縁起が気になり、道端にひっそりとある石碑を見かければ駆け寄って、それが何のために建立された石碑なのかを確認する。その中でも最もわくわくするのが幕末についてのものだ。

私が幕末オタクになった理由

私の幕末オタクは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に起因する。司馬遼太郎は説明する必要のないほど国民的な歴史作家で、『竜馬がゆく』が代表作の一つなのは周知の事実だ。これまたいちいち説明する必要も無いだろう。



私が初めて『竜馬がゆく』を読んだのは高校生の時。昼休みは図書室に入り浸っていたのだが、偶然に手に取り、パラパラとページを繰って「ちょっと面白そう」という直感で1、2巻を借りた。読み始めるとぐいぐいと物語に引き込まれ、眠る間も惜しんで読み続けた。一晩で2冊を読み終え、翌日また2冊、翌々日にまた2冊と借りて、しまいには授業中もこっそりと読み続けた。見かねた担任教師が「おまえ、何読んでるの?」というのでにっこり笑って背表紙を見せると「面白いか?」うんうんと頷く私。「あのねー、一応今授業中だからもうちょっとこっそり読め」と苦笑いしながらも、授業後に「司馬遼太郎は他の小説も面白いから読んでみろ」と声をかけてきた。今考えると、とても良い教師だった。

『竜馬がゆく』の最大の魅力は一介の下級武士が色々な人に影響を受けながら、どんどん思想的にも広がりを持ち、幕府に追われるような重要人物になって行くことだ。そしてここに描かれている竜馬はとにかく器が大きく魅力的である。戦国武将のように武功を立てることもない。けれど確実に幕末という時期においての大物になっていく様子は、とにかくワクワクした。元々割と好きだった日本史がさらに面白くなったのにはこの本を読んだことが大きく影響している。

『竜馬がゆく』は優れたフィクション

そしてこの小説の上梓以降、日本の坂本龍馬像はみなどこか『竜馬がゆく』の竜馬に影響されるようになった。というより『竜馬がゆく』の竜馬こそ正しい坂本龍馬像になっていった。しかし、『竜馬がゆく』はあくまでフィクションだ。そのため司馬遼太郎氏もあえて龍馬とせず「竜馬」という表記を使ったらしい。

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私はその後さらに歴史オタクをこじらせて、大学でも日本史を専攻し、色々な書物や古文書にあたったり、ゆかりの地を巡ったりと歴史オタクの正しい道を突き進んできたつもりだが、やはり『竜馬がゆく』はフィクションで、現在わかっているだけでも龍馬はそんなにかっこいいわけではない。しかし今でも『竜馬がゆく』を読み返すとワクワクするし、爽快な気分になる。例えフィクションであれ、歴史に興味を持つための取っ掛かりとしては良い小説であることには変わりない。きっと私のようにこの本をきっかけに立派な歴史オタクになった人もたくさんいるだろう。

こんな場所で読みたい!

龍馬は神出鬼没で日本のあちこちを飛んで歩いていた。高知、東京、京都、大阪、下関、長崎、鹿児島……。ベタに高知の桂浜あたりで読むと気分は出るが、どこの街でもいい。できれば見晴らしのいい公園のベンチで、この辺りにも龍馬がいたかもしれない、と想像しながら読み進めると楽しい気がする。文庫本で全8巻。読んで損はない。

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旅と音楽と本が好き。別名義でWebライターとして活動中。
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