シド・バレットは初期ピンクフロイドの中心メンバーだった。作詞、作曲、ギター、ボーカルを担当。ピンクフロイド=シド・バレット。彼の感性を元にバンドは転がっていた。

1967年、シングル「アーノルド・レーン(Arnold Layne)」でデビューし、1968年にはピンク・フロイドを脱退。ソロ2作目の『その名はバレット(Barrett)』が発売されたのは1970年。わずか4年と少しぐらいの音楽活動しかなかった。

それでも、彼を慕うミュージシャンは少なくない。

デヴィッド・ボウイは、好みの曲ばかりを集めたカバーアルバムで「シー・エミリー・プレイ(See Emily Play)」を収録した。マーク・ボランが大ファンであったことも有名だ。ポール・ウェラーやジミー・ペイジもそんなファンのひとりに入る。

彼はなぜ消えてしまったのか……そんな疑問がどうしても浮かんできて、仕方がない。

Madcap Laughs
Syd Barrett
Parlophone (Wea)
2010-10-11


Barrett
Syd Barrett
Parlophone (Wea)
2010-10-11


ピンクフロイドの転換と運命のいたずら

2nd『神秘(A Saucerful Of Secrets)』のレコーディング中には彼はドラッグの海に溺れていた。他のメンバーは彼の学生時代からの友人であるデヴィッド・ギルモアを招き入れることで仕上げる方向に進んだ。

デヴィッド・ギルモアが深く関わった12分ほどあるタイトルトラックの「神秘」はピンクフロイドの今後を示すような曲だった。バンドの中心はロジャー・ウォーターズへ、後に、デヴィッド・ギルモアに移行していく。それからのピンクフロイドの業績をここで語るつもりはない。

ただ、ひとつ言えることはシド・バレットが抜けていなかったら、『原子心母(Atom Heart Mother』や『狂気(The Dark Side Of The Moon)』、『ザ・ウォール(The Wall)』などの傑作は存在していなかったという皮肉な結果がある。

デヴィッド・ギルモアが学生時代からの友人ではなく、もし、ピンク・フロイドに加入していなかったら、彼が10代で見出したケイト・ブッシュはイギリスの歌姫への道を順調に歩んでいなかったかもしれない。

人生は理不尽に動く。

「クレイジー・ダイアモンド」「あなたがここにいてほしい」



彼がクビになったのは、成功に伴うストレスとそれを紛らわせるようにのめりこんでいった過剰なドラッグのせいだろう。ギリギリまで追い込まれていた精神が壊れてしまったのは紛れもない事実だ。

1975年、ピンクフロイドは『炎~あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」
』を発表した。イギリスでもアメリカでもアルバム・チャートの1位を取る。

収録された名曲「クレイジー・ダイアモンド(Shine On You Crazy Diamond)」は作詞のロジャー・ウォーターズがシド・バレットに捧げたと公言している。この曲は珍しく、詞から作られた曲だったらしい。

アルバムは全5曲しかない。2部構成となる「クレイジー・ダイアモンド」が最初と最後を飾っている。その4曲目が「あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」だ。

「あなたがここにいてほしい」の後に「あなたを狂ったダイヤモンドで照らせ」とは、どのような深い意味を持っていたのか、ひとりのリスナーとしては想像を超えている。ピンクフロイドのアルバムでは最も聴いたアルバムだと思う。

消えたアーティストはメディアの餌に……

隠居を選んだ伝説の人物。有名なところではJ・D・サリンジャー。サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」が大ベストセラーになり、ニューヨークから田舎へ隠遁生活を送る。短篇集と、いわゆるグラス家を描いたグラス・サーガを書き、ほぼ絶筆。

当然のようにジャーナリストたちはサリンジャーを追いかけた。他人を寄せ付けるどころか、伝記にも、続編にも、裁判所へ訴えをするなど、最後まで徹底的な世捨て人のような生活を続けたようだ。

シド・バレットも同じような日常を送っていた。

特に1970年代半ばに実家に籠り、完全に音楽とは無縁の生活を送ったあたりからシド・バレットの報道はひどいものだった。

1987年に「ピール・セッションズ(The Peel Session)」、1988年に「オペル~ザ・ベスト・コレクション・オブ・シド・バレット(Opel)」と立て続けてに発売すると、ゴシップ誌まがいのノリで、現在の写真を撮ろうと躍起になっていた。

ただ、そこにいるのはシド・バレットではなく、ひとりの老人、ロジャー・キース・バレット(本名)。

偽物でしたと種明かしされても納得する。かつての面影はどこにもない。例え、ダイヤモンドで照らしても、その輝きは到底、戻せるのは無理だと誰もが分かる姿だ。

あわよくば復活を…と望んでいたファンの期待は軽く沈んでいった。もし、復帰したとしても、かつての彼は、もういないのだ、という事実を受け入れるしかなく、ファンは過去の偶像にすがるしかなかったように思える。

Opel
Syd Barrett
Parlophone (Wea)
2010-10-11



シナスタジア(共感覚)を持つと言われていたシド・バレット

彼には何が見えていたのだろう?

シナスタジア(共感覚)とは無意識で起こるもの。例を挙げれば、文字に色が見えたり、音に色が見えたり、数に色が見えたり、など。そういう感覚の未分化(正確には原因不明)から、彼は何を感じていたのだろう。

シド・バレットは消えた。自らを消してしまったのだ。そう思っている。要因はストレスやドラッグだったのかもしれない。ただ、それはただのきっかけに過ぎなかったのだ、と。

おそらく、彼には音に色が見え、曲のイメージが他の人よりも敏感に拡がりを持ったものとして知覚されていたのだろう。凡人には理解することが不可能な世界だが、たぶん、そんな曲の色彩地獄に耐えられなかった、と想像してしまう。

晩年のロジャー・キース・バレットは幸せだった。シド・バレットという存在を消去でき、普通の日常生活を手に入れて満足していた……そんなふうに思う。予め決められた運命だったのかもしれない。

2006年、60歳になったロジャー・キース・バレットは糖尿病などの合併症で亡くなった。それでも、音源は残る。何て、残酷なことだろう。




もし、あなたが天上から期間限定の才能とやらを与えられたら、いつに使う?いつに使いたい?


この記事を書いた人

yosh.ash

文章と音楽。灰色の脳細胞です。
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