ぷらすです。
先週、映画『メッセージ』を観て「これは原作本も読まなくては!」とその足で本屋に行き『あなたの人生の物語』を購読しました。
本作は『メッセージ』の原作である『あなたの~』を含む8作品を収めた作品集なんですが、ここでは『あなたの人生の物語』に絞って感想を書こうと思います。



第一印象は、とにかく読みにくい!


この物語は、突如地球の軌道上に現れた異星人と地球人のファーストコンタクトを描いたSF作品で、政府からの要請により、ヘプタポッドと名付けられた宇宙人の言語を解析し対話を試みる米国の言語学者ルイーズ・バンクスが宇宙人の言語体系を理解するうちに彼女の身に起こる変化を描いています。

ただ、これが超読みにくいww

というのも、冒頭から中盤にかけては専門用語の釣瓶打ちで、ストーリーが中々頭に入ってこないのです。それだけでなく、文章にも独特のクセがあって――それが原作者のテッド・チャンのクセなのか、訳者のクセなのかは分かりませんが――、もうね、読んで戻ってを何度も繰り返しましたよ。
僕の場合は映画を先に観ていたので、映画と原作のシーンを照らし合わせながらぼんやり理解していきましたが、映画を見てなかったらこの序盤で挫けていたかもしれません。

ただ、序盤の苦労を乗り越えて、ある程度物語の構造が理解出来てくると今度は読む手が止まらなくなっていくんですよねー。

多分、二回、三回と読み返して理解が深まる毎に、ストーリーの面白さが分かってくるんじゃないかと思います。


『言語』をモチーフにしたSF


僕はそれほどSF作品を読んでいないので、ハッキリとは分からないんですが、例えばタイムトラベルや異次元、地球外の惑星などを主人公が体験・冒険するような、SF的体験を主人公が物理的に体験するストーリーっていうイメージがあります。

本作もその系譜ではあるんですが、面白いのは「言語」を通して、主人公が精神的に様々な体験をするというところ。
主人公のルイーズは、地球人とはまったく構造の違う異星人ヘプタポッド(七本脚とうい意味らしい)とのコンタクトを取るために、”それら”(異星人)の言語を解析しようとするわけですが、ヘプタポットたちとヒヤリングとリーディング両面からコンタクトのアプローチを続けるうちに、地球人言語との決定的な差に気が付きます。

そこを突破口に彼らの言語と文章を解析・理解を進めるうちに、彼女の脳に変化が起こってくるというのが本作のメインストーリー。
つまりこの物語は、人間とは全く異なる体系を持つ異星人の言語を理解することで、主人公がある意味で進化? する物語なんですね。

そのアイデアの元になってるのが、「サピア=ウォーフの仮説」もしくは「言語相対性仮説」と呼ばれる、物凄くざっくり言えば、使用する言語が思考に影響を及ぼすという仮説。
この仮説は現在否定されているそうですが、作者のテッド・チャンはそれを知った上であくまでも単なるアイデアとしてこの仮説を小説に使っています。

そして、ルイーズがヘプタポッドの言語体系を理解する鍵となるのが「フェルマーの原理」で、こちらも物凄くざっくり言うと「光は常に最短時間のルートを通る」っていう事らしいです。

ちなみに映画の方では、「フェルマーの原理」から着想を得てルイーズがヘプタポッドの言語体系を理解する件はバッサリとカットされてます。
小説だとここが面白い部分ですが、映画では説明的になりすぎちゃうからなんでしょう。

で、ここから先はネタバレになっていくので、その前に書いておきたいんですが、多分SFファンじゃない人は、まず先に現在公開中の映画「メッセージ」を観て、興味が出たら本作を読むのがいいんじゃないかと思います。
というのも映画のほうがビジュアル的な表現が多いので感覚として分かりやすいし、映画である程度「予習」をしておいた方が、小説を読むときに理解しやすいんじゃないかと思うんですよね。

ちなみに映画の方も超面白いのでオススメですよ!


ここからネタバレ


本作のストーリーには2本の柱があります。
一つは、前述したように全く異なる生態系を持つ異星人とのファーストコンタクト。
もう一つは、主人公ルイーズと娘のストーリーです。
ひとつの物語の中で、この2本のエピソードが交互に展開され、ある瞬間に交錯した瞬間、それまでの全てのピースが繋がる構造になっているんですね。
そして、この物語の構造自体が、ヘプタポッドと名付けられた異星人の言語体系とリンクする構成になっているという仕掛けなのです。

ヘプタポッドは話す言葉(発話言語)と書く言葉(書法体系)という二つの言語を持っています。
僕らは言葉を記録するために文字を使いますよね?
でも彼らは、話すための言葉とは別に、書くための言葉を持っているのです。
なので、彼らが話す言葉と文章はまったく別の意味を持っているんですね。

そして僕らは文章は名詞・動詞・接続詞みたいに単語を繋げて文章にしますが、彼らは文字(というか記号?)自体が一つの文章になっていて、文章の中では文節や単語も互いに交錯し合い、再構成したり取り除くことができないほど強く結合しています。
それはつまり書き出す前に結末を知っていないと文章が書けないという事です。

なぜこうなるかというと、彼らにとって時間は過去・現在・未来と順に繋がるものではないからです。
僕らが目に入る光景を一つの映像として知覚するみたいに、彼らヘプタポッドは時間を始まりから終わりまで一まとめに知覚するってことらしいんですね。
分かりやすく言うと、ヘプタポッドは未来を知っていて、そこに向かって行動しているということらしく、人間の場合、目的を持って行動(選択)し結果(未来)知るのに対し、ヘプタポッドは、あらかじめ結果(未来)を知っていて、結果に向かって行動し、目的を知るとなるらしいのです。


未来を変えることは出来ない?


つまり、この物語は運命論と自由意思論の考察でもあります。
多くの人間は自分で選択した結果として未来があると思っていますよね。
ところがヘプタポットは最初から未来が分かっていて、そこに向けてシナリオ通りの言動をしているわけです。
過去・現在・未来を同時にを知覚する彼らにとってはそれは当然の事なんですね。

そんな彼らの言語を解読・理解するうちにルイーズも未来が見えるようになってきます。

そんな中、彼女は同僚の物理学者ゲーリーと夕食を食べようとスーパーに買い物に行きます。
そこでふと目にした木製のサラダボウルを手にしたとき、ある未来のビジョンが浮かぶんですね。
それは彼女にとって良い未来ではないにも関わらず、それでも彼女は【そうすることを強いられたものとは感じられず(中略)それに従うのが正しいと感じる本能のひとつだと。】感じてそのボウルを購入するのです。

そして彼女は、ヘプタポッドはただ歴史をトレースするため、ロボットやRPGの村人のごとく決められた言動を取っているのではなく、彼らの動機もまた歴史の目的と一致しているのだと。人間の行動が結果を欲するのに対して、ヘプタポッドは行動は目的を欲するということを理解します。

未来を知らない逐次的認識で生きる人間にとって自由と強制は意味を成す現実ですが、未来を知覚する同時的意識では無意味になってしまう。つまり、未来を知った時点で人間は選択の自由を失う=未来は変えられないってことなんだと思います。(多分)


映画との違い


小説版では、殆どアメリカの片田舎の牧草地に現れたルッキンググラス(姿見)と呼ばれるへプタポットとの通信機器(テレビ電話的な?)を覆うテントの中でストーリーが進行します。
高さ10フィートx幅20フィートほどの半円形の鏡のような装置を通して、ルイーズとゲーリーが2体のヘフタポッド(フラッパーとラズベリー)との対話がメイン。

対して映画版では大きな「ばかうけ」型UFOの中で、ルイーズとゲーリー(映画版ではイアン)がヘプタポッドと対話します。
映画も小説も大筋は変わりませんが、小説版ではイメージしずらい異星人の姿や彼らの文字などが映画版ではビジュアルとして提示されます。
さらに映画版では、原作にはない他国との軋轢やテロ。あわやの危機をルイーズが解決するというドラマチックな展開、ヘプタポッドが地球にやってきた目的なども描かれ、物語世界に奥行が出ているように思いました。

そして小説版でも映画版でも「未来を知るものは未来を変えられない」ことを理解したルイーズが、未来に起こる悲劇を知りつつ運命を受け入れるというラストのコンセプトは同じなんですが、映画版では悲劇も含めた未来を予見しつつ、それでも運命を受け入れる「決断」をするという、彼女の意志の積極性をより強調した演出になっています。

対して、小説の方では読み方によっては彼女は消極的に運命を受け入れた(運命に従った)ようにも受け取れるくらいアッサリとした印象を受けます。
でも、小説版も映画版も、ルイーズは同じように彼女の意思によって覚悟を持って運命を受け入れているのだと僕は思うんですね。
何故なら「彼女の動機もまた歴史の目的と一致している」からです。

その彼女の動機については、本作、または映画でご確認いただけたら嬉しいですよー!

小説も映画も、興味のある方は是非!!



映画「メッセージ」ネタバレ感想



この記事を書いた人 青空ぷらす

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