その昔、小説や映画と音楽が密接に手をつないでいた頃があった。時代の空気と呼んでいいと思う。影響の胞子は様々なミュージシャンに根付いた。影響を受けたミュージシャンは自分の名前、バンド名、曲名などに影響の痕跡を残した。

作家の名前や作品名からとられたステージネーム(芸名)やバンド名をつけたミュージシャンたち



まず、日本のミュージシャンを挙げてみるう。ひとつの例だ。仲井戸麗市(通称:チャボ)は、「サンシャイン・スーパーマン」などのヒット曲で有名なドノヴァンからとられた。ドノヴァンの正式名ドノヴァン・フィリップ・レイチ。こういう例は世界中に数多く存在する。

ボブ・ディラン

ロバート・アレン・ジマーマン。これが本当の名前だ。ボブ・ディランは、20世紀の最も偉大な詩人と呼ばれるディラン・トマスからとられた。現在はボブ・ディランが本名。戸籍の名前まで変えてしまったようだ。ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランらしい逸話なのかもしれない。インタビューなどでも、よく作家やその作品の話が出てくる。「白鯨」で有名なハーマン・メルヴィル、他のアーティストからもよく挙げられる吟遊詩人アルチュール・ランボー、そのランボーとも関係の深いポール・ヴェルレーヌ、後年の文化に多大な影響を与えたウィリアム・ブレイク、など。ボブ・ディランの偏屈ぶりは相変わらずだけれど。

ドアーズ(The Doors)

オルダス・ハックスレーの「知覚の扉」からとられた。原題は「The doors of perception」。この本のタイトル自体もウィリアム・ブレイクの詩から引用されたものだ。この本の内容はハックスレーがメスカリンを経験して感じたことを綴ったものである。幻覚剤であるメスカリンは元々、ペヨーテ(サボテンの一種)に含まれる成分で、メキシコの宗教儀式などに使用されていた。

「知覚の扉」というのは、ヒトは物事を見るときには常にフィルターがかかっており、「知覚の扉」が開けば物事のすべてがありのままに、宇宙からのすべての刺激を受け取ることができる……そんな感じの意味になる。かなりムチャな要約をしたので細かい点はご勘弁を。ジム・モリソンの死因は心臓発作とされている。真実は分からない。ただ、少なからず薬の影響があったことは確かなので、このバンド名は、いろいろと考えさせられる。

知覚の扉 (平凡社ライブラリー)
オルダス ハクスリー
平凡社
1995-09


ソフト・マシーン

1961年に発表した、ウィリアム・バロウズの「ソフト・マシーン」から付けられた。実際に、オリジナルのメンバーであるデイヴィッド・アレンはバロウズと知り合いだったそうだ。バンド名にソフト・マシーンを使うことを本人に許可を得たぐらいだから筋金入りのファンだよね。ちょっとズルい気もするけれど。

文学から、詩や小説に影響され、そのまま曲名にしたり、世界観を楽曲にしてしまったミュージシャンたち



「ミスター・クロウリー(死の番人)」(オジー・オズボーン)

「法の書」を書いたアレイスター・クロウリーの名前。1980年に発表されたオジー・オズボーンの1stソロアルバム「ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説(Blizzard of Ozz)」に収録されている。この「法の書」は、クロウリーが召喚した守護天使が伝えたものだ。そういうことにしておこう。ストーリーらしきものはない。日本語訳版には「読んで九ヵ月後に災厄などが起こっても出版社は責任とりませんよ」みたいなことが書いてある。

「ザ・コール・オブ・クトゥルフ(The Call of Ktulu)」(メタリカ)

1984年の2ndアルバム「ライド・ザ・ライトニング(Ride the Lightning)」の最後を飾るインスト曲。クトゥルフ。元々、この世界観はH・P・ラヴクラフトの作品群から由来するものだ。ジャンルとしては怪奇・幻想小説になるのだろうか。小説には様々なこの世のものでない架空の生物が登場する。その生物や世界観の総称がクトゥルフ。

メタリカは他の曲にもクトゥルフの引用がある。1986年に出された「メタル・マスター(Master of Puppets)」に収録されている「ザ・シング(The Thing That Should Not Be)」。歌詞にクトゥルフ関連の言葉が使われている。


日本では、SFの超名作「夏への扉」(ロバート・A・ハインライン)をモチーフにしたアルバムがあった。1979年に発表された難波弘之の「センス・オブ・ワンダー」。作詞が吉田美奈子で、作曲が山下達郎という贅沢な曲だ。「センス・オブ・ワンダー」もSF用語のひとつ。簡単にいえば、SF作品に触れたときに味わう不思議な感動という意味。レイチェル・カーソンの著作「センス・オブ・ワンダー」が有名だけれど、このアルバムはSF用語からと思っていいだろう。

映画に触発され、ステージネーム(芸名)やバンド名にしたり、曲名をつけたミュージシャンたち



デュラン・デュラン(Duran Duran)

1980年代を代表するバンド。この名前は、1968年の映画「バーバレラ」から引用されている。俳優一家であるジェーン・フォンダ主演の贅沢なB級SF映画だ。登場人物である悪党の博士の役名がデュラン・デュラン。本編はもちろんだけれど、ポスターや予告編なども、わざとらしい安っぽさ満載で、なかなか面白い映画だ。

モグワイ(Mogwai)

 1984年の映画「グレムリン」に出てくる知的生物の名前。ちなみにグレムリンも伝承生物……日本で言えば妖怪が近いかもしれない……にあたる。映画「グレムリン」では妖精として登場しているが。これは「ムーミン」シリーズのトロールに近い解釈だと思っている。


映画の影響。日本でもある。例としてイエロー・マジック・オーケストラ(通称:YMO)を。デビュー・アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ (YELLOW MAGIC ORCHESTRA) 」でジャン=リュック・ゴダール監督の作品をそのまま使っている。6曲目の「東風(TONG POO)」は1969年の「東風」、7曲目の「中国女(LA FEMME CHINOISE)」は1967年「中国女」、9曲目の「マッド・ピエロ(MAD PIERROT)」は1965年の「気狂いピエロ」から。

小説という世界にも手を出してしまったミュージシャンたち、と、様々な情報がコピーされていくミームという概念

ボリス・ヴィアン

真っ先に浮かぶのはこの人。経歴からみると微妙な感じだ。ジャズを愛しトランペット奏者だったが、厳密な意味でのプロではなかった。別名でお金のためにハードボイルドを書いていたが、ボリス・ヴィアン名義で書いた本は酷評されていた。

「うたかたの日々」(日々の泡)は青春ものでは名作中の名作だと思っている。全体を流れる空気や、読み終えた後の不可思議な感覚は、他の誰にも書けない作品だ。多くの人が影響を受けた小説と言い切っていい。これ、早川書房と光文社は「うたかたの日々」、新潮社は「日々の泡」と、翻訳者によって2つのタイトルがある。ここは岡崎京子の同タイトル漫画に合わせて「うたかたの日々」にしておく。

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)
ボリス ヴィアン
早川書房
2002-01


ミームという概念がある。少々、古いですが、リチャード・ドーキンスのベストセラー「利己的な遺伝子」に出てくる。意味としては簡単にいうと「人から人へ、心から心へ、情報が伝わること」だ。

限定していえば、音楽というジャンルだけでなく、小説や映画などの芸術や自然現象の「物語」が人から人へ、現世代から次世代へとコピーされていく。そうやって、音楽は、音楽をつくる人はその表現の幅が広がっていくのだ。過去の作品を遺物として葬り去ることはカンタンだが、創造するヒトとして無視するのは惜しい気がする。飽和しているらしい現代の情報にも同じことが言える。限られた情報を飲み込めないヒトに新しい創造が出来るだろうか? そんな素朴な疑問が拭い取れないのだ。

さて、音楽を楽しんでいる皆さん、現世代や前世代のミームを受け取っている?

利己的な遺伝子 <増補新装版>
リチャード・ドーキンス
紀伊國屋書店
2006-05-01



この記事を書いた人

yosh.ash

文章と音楽。灰色の脳細胞です。
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