「ワン・ゼロ」(佐藤史生)の連載が少女マンガ誌「プチフラワー」(小学館)始まったのは1984年だった。「1984年」。そう、 ジョージ・オーウェルの描いた小説世界ではビッグ・ブラザーの管理下に置かれ人々は支配されていた。Appleが制作したMacintoshの登場CMはこれのパロディだった。

WindowsのOSなんてなかった。MS-DOSだった。フロッピーディスクも大きいサイズでカバンに入れておくとすぐに壊れた。16ビットのパソコンがメインだった。お手軽な8ビットのMSXが普及するのはもう少し後の時代だ。

そんな時代に、佐藤史生は「ワン・ゼロ」という恐ろしい感性の作品を描いた。「ワン・ゼロ」は当然、2進法の「1と0」のことだろう。物語では、「神(デーヴァ)と魔(ダーサ)」にあたる。どちらが1で、どちらが0かは分からない。主人公たちは「魔」に属する。よくある神話とは全く別の世界だ。読んでいると「神」が1にも0にも思えてくる。



神と魔、そして、マンダラ・シンセサイザー

「神」はメディックと呼ばれるマンダラ・シンセサイザーを利用して、世界を極楽浄土にしようとしている。いわゆる、ユートピアだ。トマス・モアが16世紀に出版した「ユートピア」は現実への批判精神によって書かれたものだが、今ではどちらかというと理想郷や桃源郷といった意味合いで使われている。

ジョージ・オーウェルの著作「1984」はディストピア。ユートピアの逆だ。管理社会への風刺もあるが、ユートピアそのものへの批判も含んでいる。「ワン・ゼロ」の主人公たちはそんなユートピアに抵抗する。争いもない、偏見もない、幸せだけに満ちた世界にしようとする「神」と戦う。

こんなふうに書くと不思議なストーリーだけど、まとめると、そういうことになる。人間らしさを求めるとか、そんな説教臭いセリフも出てこない。ただ、自らの運命に従うかのように「神」が求めるものを壊す。「神と魔」は古代インドの宗教と日本古来の神道が混ざっている。さらに、巨大なコンピュータが絡む。蘇った魔のひとりは取り憑かれるようにコンピュータの中へと入っていく。



佐藤史生の想像力はどこからやってきたのだろう?

この創造性には驚かされる。佐藤史生は何を考えて、こんな作品を描いたのだろう。どこからアイデアを着想したのか全く分からない。あらゆる発想が入り乱れていて、初めて読んだときは戸惑った。これだけの要素を詰め込んで、物語が破綻せずに最後まで読者を惹きつける力に圧倒されたのかもしれない。

ディックは必ず破綻した。それがディックの魅力でもある。ただ、佐藤史生は決してブレることがない。まるで最初の時点で、最後の1コマまで頭で組み立てているように感じてしまう。

SFという分野に入る漫画は他にも多くある。ほぼ、同世代にあたる萩尾望都や竹宮惠子も傑作を描いていた。しかし、先見性という点では佐藤史生に軍配があがるというのは言い過ぎだろうか。純粋なSFでなく近未来の物語として考察すると、怖いぐらい現実が作品に近づいているように思えて仕方がない。



『ワン・ゼロ』の番外編「打天楽」

「ワン・ゼロ」には番外編がある。その後の物語だ。「打天楽」。話はさらに精神世界へと入っていく。メインになるのがクワンという眠らない魚だ。世界はクワンの見ている夢という設定になっている。完全なる矛盾。眠らない魚の夢がこの現実世界?眠らないのに夢って?これは最後まで明かされない。解釈は読者に委ねられている。

「打天楽」は短編だ。ほんの数十ページに様々な仕掛けが施されていて、またもや、面食らってしまう。どこまで完璧主義者なのだろうか……佐藤史生は……と思うのは当然の帰結。たぶん、ふつうの漫画家なら番外編も含めてコミックスで20巻近くまで引っ張れるはずだ。だが、これは全4巻で終わる。文庫版では全3巻と番外編を併せても4冊しかない。



佐藤史生は現在進行系の現代をどう思っているのだろう?

「ワン・ゼロ」の全解説をしてほしいぐらいだ。しかし、2010年に佐藤史生は亡くなってしまった。それほど多作な漫画家ではなかったので全作品を読むことは難しくはない。無念なのは新作が読めないことだ。もし、現在の日本を見ていたら、佐藤史生はどう思っていたのだろう……と考えることがある。2010年なんて、手の届きそうな過去なのに、すごく遠くに感じてしまう。

「神と魔」と書いたが、「魔」も「神」のひとつだ。どちらが善で、どちらが悪かは分からない。絶対の善や、絶対の悪なんて、この世界には存在しない……そんな考えは間違いだろうか?

と、メディアに流れていく記事を見ていて、ふと、そんなことを思ってしまうことが、よくある。とても、よくあるんだ。




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yosh.ash

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