1975年、ジョン・レノンが発表したした『Rock 'n' Roll(ロックン・ロール)』。6枚目のソロアルバムだ。全曲がカバー。オノ・ヨーコとの息子が生まれ、主夫宣言をした年に発売された。すべて、ジョン・レノン自身のルーツ音楽ともいえる曲が並んでいる。


「ビー・バップ・ア・ルーラ」ジーン・ヴィンセント

『ロックン・ロール』の1曲目は1950年代のロカビリー代表曲でもある「ビー・バップ・ア・ルーラ」。ビートルズ時代にもカバーしていた。ポール・マッカートニーが初めて買ったレコードだといわれている。ポール・マッカートニーとジョン・レノンが初めて出会ったきっかけだったらしい。この曲をカバーしたアーティストは、エヴァリー・ブラザースやカール・パーキンスやストレイ・キャッツなど。やはり、ロカビリー系が並ぶ。

「ユー・キャント・キャッチ・ミー」チャック・ベリー

このアルバム名で彼を入れなければ叩かれていたと思う。チャック・ベリーがいなければ、ロックン・ロールは生まれていなかったかもしれない。限りなくロックン・ロールとイコールに近い存在だ。『ロックン・ロール』には「ユー・キャント・キャッチ・ミー」と「スウィート・リトル・シックスティーン」の2曲が収録されている。チャック・ベリーをカバーしたアーティストは数えきれない。代表的なのはローリングストーンズ。デビュー曲はチャック・ベリーの「カム・オン」だった。

「スリッピン・アンド・スライディン」リトル・リチャード



アルバムには「スリッピン・アンド・スライディン」と「リップ・イット・アップ」から「レディ・テディ」に続くメドレーが収録されている。渋い選曲だなぁ。リトル・リチャードの最も知られている曲は「ロング・トール・サリー」。「ロング・トール・サリー」をカバーした主なミュージシャンはエルヴィス・プレスリー、キンクス、ビートルズ、など。元ザ・タイガースで俳優の岸部一徳が愛称サリーと呼ばれていたのはこの曲が元ネタ。

「ペギー・スー」バディ・ホリー

バディ・ホリーはフェンダーのストラトキャスターとメガネをかけたスーツ姿が印象的だ。『ロックン・ロール』には「ペギー・スー」が収録されている。1959年、飛行機事故でリッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパー、そしてバディ・ホリーが亡くなった。3名の若いミュージシャンがこの世から消える。バディ・ホリーは22歳だった。リッチー・ヴァレンスにいたっては17歳でした。この1959年2月3日を「音楽が死んだ日」と呼ばれている。

バディ・ホリーと似ている人。というか似せたというのが正しい。映画『スタンド・バイ・ミー』に出てくるテディだ。ロブ・ライナー監督が仕掛けた隠し技だと思っている。確かな話ではないけれどね。

「スタンド・バイ・ミー」ベン・E・キング



映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌として、ベン・E・キングのバージョンを知っている人が多い曲。このアルバムの中で最も有名で、最もカバーされた曲かもしれない。ベン・E・キングとジョン・レノンの歌を交互に聴くとよく分かるのだけれど、本家メロディの崩し方が絶妙だ。ちなみに、映画『スタンド・バイ・ミー』のスティーヴン・キング原作は「THE BODY(死体)」というタイトルで「スタンド・バイ・ミー」とはまったく関係ない。

「エイント・ザット・ア・シェイム」ファッツ・ドミノ

ファッツ・ドミノはチャック・ベリーと同じくロックン・ロール創成期に活躍した。アルバムでは「エイント・ザット・ア・シェイム」が収録されている。この曲をカバーしたアーティストとして思い浮かぶのがチープ・トリック。1978年『チープ・トリック at 武道館(Cheap Trick at Budokan)』の1曲だ。思わせぶりなイントロのパワー・ポップなアレンジがカッコイイ。

ジョン・レノンは子どものように純粋な瞳で世界を見つめている

「ラヴ」や「イマジン」、「ジェラス・ガイ」、「コールド・ターキー」、「マインド・ゲームス」、「スターティング・オーヴァー」、「ウーマン」などの名曲はあるのだけれど、アルバム全体の出来としては今ひとつ好みではなかったりする。ジョン・レノンが純粋に音楽へ向かい合った唯一のアルバムが『ロックン・ロール』。そう、思っている。だから、「ジョン・レノンのソロで一番好きなのは?」と尋ねられたら、曲名ではなく、すぐに『ロックン・ロール』が頭に浮かぶんだよね。

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yosh.ash

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