重たいバックパックを背負って勢いで訪れた、聖地リシケシュ。インド人巡礼客、サドゥーと呼ばれる修行僧、そしてヨガや瞑想を学んでいる外国人などたくさんの人々がこの街を訪れる。そんなリシケシュで1ヶ月弱を過ごした。どんな日々を送っていたのか記憶をたどってみる。

拙いヒンディー語でのコミュニケーション

私が訪れた時、リシケシュのすぐそばの街ハリドワールでヒンドゥー教最大の祭であるクンブメーラが行われたことは前回書いた。そのせいでリシケシュにも大量のインド人巡礼者やサドゥーが訪れていた。朝食をとった後に散歩をしているとガンガーにかかる橋の上で女性の巡礼客が何の迷いもなくヒンディー語で話しかけてきた。「すごく良いところだと思わない?景色がきれい!」とやや興奮気味だ。幸いヴァラナシでヒンディー語を少し勉強した後だったので、そうだね、空気も良いね、と返事をすると「やっぱりそうよね!」とバンバン背中を叩かれて、苦笑いをしながら別れた。
 
ある時はやはりのんびりと通りを歩いていると、「お姉さん、お姉さん!」とヒンディー語で呼びかけられたので振り向くと、まだ10代であろうサドゥーが「日本人?ヒンディー語わかるんだね。ねえ、僕とチャイを飲まない?夕方ああそこのチャイ屋に行くから来てよ」と話しかけてきた。これではナンパではないかと心の中で笑った後に、あなたはサドゥーでしょ、と言うと「僕はまだなりたてだから大丈夫!」と訳のわからない返答をして「じゃあ、待ってるね!」と去っていった。当然私は行かなかったけれども。

サドゥ―小さなシヴァたち
柴田 徹之
彩図社
2008-01-28





ほんの少しでもヒンディー語がわかるとコミュニケーションできる人が増えていい、としみじみと思った。私は熱心に勉強したわけではないので、もっと真面目にやっておけばよかったなと反省もしたが、とりあえずは良かった、とても楽しい経験だった。

修行者の街では

リシケシュは修行の街らしくベジタリアンの街で、どこに行ってもお肉は食べることができず、卵も限られた店でしか食べられない。アルコールは一切売っておらず、どうしても飲みたい人は隣町まで買い出しに出かけていた。食べる楽しみがないという人もいたが、そもそもインドに長期滞在していて肉々しい食事をあまりすることがないし、私はそう苦にもならず、教えてもらってとても気に入ったレストランで美味しく食事をし続けた。今でもそのレストランの、素材の味がしっかりするシンプルな料理を懐かしく思い出すほどだ。

かといって何も修行者のような毎日を送っていたわけではなく、週末になるとアルコールが大好きな友人が隣町から買い出してきたお酒を翌日二日酔いで動けなくなるほど飲んだりもした。シヴァ神が睨みをきかせている街でやんちゃをしすぎたな、と毎回反省するのだが、ついついまた飲んでしまうのが人間らしくていいじゃないかと自分で自分を納得させた。

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さすがに何もせずにリシケシュに滞在しているとすることがなくなってくる。そもそもが修行のための街であり、たいていの旅行者はヨガや瞑想のためにやって来ている。私の友人たちも皆ヨガのために何度もこの街を訪れているリピーターで、平日はレッスンがメインで遊んでもらうわけにもいかない。暇を持て余している私を見て友人が「せっかくだからヨガやってみたら?」と言う。そうだ、ここはヨガの聖地だ、やってみるのもいいかもしれないと本場でヨガにチャレンジしてみることにした。
 

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旅と音楽と本が好き。別名義でWebライターとして活動中。
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