「ミリアム」が発表されたのは1943年。トルーマン・カポーティは19歳。天才だわ。そりゃ、ジャン・コクトーの作品『アンファン・テリブル(恐るべき子供たち)』って形容詞が付いても仕方がない。カポーティの小説では『遠い声 遠い部屋』と『夜の樹』がマイ・ベストだ。


『夜の樹』の単行本と文庫本

『夜の樹』。手元にあるのは単行本(復刊)と、文庫本の2冊。すべて出版は新潮社だ。単行本は1990年の東京ブックフェアに際しての復刊だった。リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』や『ビッグ・サーの南軍将軍』などと一緒に買った記憶がある。最近、Kindle版も出ているようだ。3冊の翻訳は微妙に違う。まとめてみる。
  • 1990年、単行本(翻訳:龍口直太郎)……1970年版の復刊
  • 1994年、文庫本(翻訳:川本三郎)
  • 2014年、 Kindle版(翻訳:龍口直太郎)
龍口直太郎は主役のオードリー・ヘップバーンが表紙になった『ティファニーで朝食を』なども翻訳している。古臭い日本語訳にも思える部分は多々あるけれど、それも含めてトルーマン・カポーティの作風によく合っていると思う。おそらくだけど、Kindle版で復活したのはそのあたりの根強い人気もあったのかな?と予想してしまう。

20歳前後のカポーティ作品は儚い残像みたいだ

もう一度、書く。トルーマン・カポーティで好きな小説は『夜の樹』と『遠い声 遠い部屋』だ。どちらの世界も描かれているのは現実の危うさ。たとえば『遠い声 遠い部屋』は少年期の「こわれもの」な世界が不安定に積み上げられている。

『夜の樹』に収められている「ミリアム」「夜の樹」「無頭の鷹」などもそうだ。喪失感や日常のずれみたいなものでなく、現実ってはじめからこういうものだよって感じで描かれてる。おそらくエドガー・アラン・ポーとかの影響なんだろうけど、このあたりの世界の掴み方には、とても引き込まれる。

暗い。もしかするとそんな読まれ方をするかもしれない。『遠い声 遠い部屋』の表紙(文庫本)も陰鬱だ。ある意味それは間違ってないと思う。ときに幻想的な文体はゴシックホラーの匂いがする。ただ、その奥にある煌びやかな表現の原っぱは広大だ。言葉では表現不可な思いの丈の源泉みたいなものに圧倒される。

カポーティの「ミリアム」とノラ・ジョーンズの「ミリアム」

「カポーティの本で、どれが最もおすすめ?」と尋ねられたら『夜の樹』と即答するだろう。そして、『夜の樹』で最高なのは「ミリアム」。これは初めて読んだときから変わることがない。何度読んでも最初の印象が蘇ってくる最高の短編だ。ノラ・ジョーンズの「ミリアム」を聴いたときは驚いた。あまりにもカポーティの小説に空気感が似ていると思ったからだ。名曲だ。



『ティファニーで朝食を』。昔、映画館で観た覚えがある。映画の冒頭とラストが特にダメだとは思うけれど、それほど嫌いではない。ただ、ホリー・ゴライトリーとしての魅力は小説の圧勝だ。いくら、オードリー・ヘップバーンが「ムーンリバー」を歌うシーンが綺麗でもね。

『ティファニーで朝食を』は新訳(村上春樹)が発売された。こういうのあり、だよね。何十年かに一回、読み継がれてほしい海外の作家やその作品をその時代に合わせて訳し直すのって悪くない。他のもやってくれないかな……と期待している。『遠い声 遠い部屋』が第一希望。当然、『夜の樹』も。ノラ・ジョーンズの曲を聴きながら、別の人が翻訳した「ミリアム」を読んでみたい。

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yosh.ash

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