ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ(
Josep Guardiola i Sala)はスペインのカタルーニャ州出身の元サッカー選手で現役のサッカー指導者。現在はプレミアリーグのマンチェスター・シティの監督を務めており、現役時代は主にクライフが率いたドリームチームと呼ばれたバルセロナの一角として活躍し、スペイン代表にも選ばれた中盤の名手。
ここまで監督として率いたバルセロナとバイエルンの2チームで20を超えるタイトルを獲得しており、稀代の名将として知られている。



と、いうことで今回はジョゼップ・グアルディオラ、ペップと呼ばれる彼です。
スーパーな監督ですね。そして現役時代はスーパーな選手でもありました。

現役時代の話に深く触れると長くなってしまうのでこちらはあっさりと触れていきましょう

現役時代のペップ

13歳でバルサの下部には入り、19歳で当時の監督ヨハン・クライフのもとトップチームデビュー、20歳になった91-92シーズンにはレギュラーの座を手に入れリーガのタイトルとチャンピオンズカップ(今でいうCL)の2冠の獲得に大いに活躍します。

その後もドリームチームと呼ばれたバルサは90-91から93-94までリーガ4連覇を達成しますが、レギュラーとなった91-92からはチームの中軸として、活躍。その後チームが不調の間も本人が怪我をしている間以外はチームの主力として2000-01までプレイ。

その後はイタリアのブレシアやローマでプレイをするもドーピング疑惑などで不遇の時間を過ごしカタール、メキシコと渡り歩いて2006年に引退をします。

何度か述べている通り彼は中盤の選手でした。チャビ・エルナンデスやイニエスタ、セスク等のバルサ育ちの中盤の選手にとって彼はヒーローのような存在であり、バルサ下部組織が変わるきっかけにもなった選手でもあります。

当時バルサ下部組織ではユース世代で180cmに満たない選手は冷遇されていましたが、彼がクライフの目に止まり彼の手によって引き上げられたことがきっかけとなり大きくない選手にも目が向くようになり、選手のインテリジェンスが重要視されるようになりました。

おそらく彼が居なかったらデラペーニャやイニエスタはどうなっていたのかわからないでしょう。それくらいにプレイ以外の面でもバルセロナに与えた影響が大きい選手です。 

常に正しい判断で正しいポジショニングをし、正しいところにボールを置き、正しいところにパスを出す、という現代のサッカーで重要視されるインテリジェンスを持ち合わせた選手のプロトタイプとも言えるプレイヤーでした。


監督としてのペップ

選手を引退し、翌年07-08シーズンからバルセロナBの監督としてバルサに舞い戻り、そのシーズンを4部で戦い昇格。
翌年08-09シーズンにライカールトの後釜としてトップチームの監督に就任、当時チームとして緩んでいたこともあり就任会見でその時の主力であったロナウジーニョ、デコ、エトーの構想外を宣言。遅刻に対する罰金なども導入し緩んでしまい無冠が続いていたチームの改革を目指します。

また、自分がクライフのもとで開花をしたように彼も下部組織から若手をどんどん登用し、選手を育てチームを作り上げていきます。その結果就任1年目、1部リーグでの初めての采配にしてスペイン史上初のリーガ、コパデルレイ、CLの3冠を達成、その後スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、クラブワールドカップのタイトルも獲得し史上初の6冠も達成します。

翌09-10シーズンはCLなどは落とすものの順調に勝ち点を重ねリーグタイトルを獲得、2年で7個のタイトル獲得となり監督としてのタイトル獲得数もクライフに次いで2位となります。
10-11シーズンにも順調に勝ちを重ねリーグとCLタイトルを獲得。翌11-12シーズンはリーグとCLを逃し、シーズン限りでの退任を発表。コパデルレイのタイトルを獲得し有終の美を飾り退任します。

一年の休養の後にドイツのバイエルンミュンヘンの監督の監督に13-14シーズンから就任。
13-14から15-16シーズンまでの3シーズン指揮をとり、リーグを3連覇し、カップタイトルも2つ獲得するもののCLのタイトルは逃し続けます。 

シーズン半ばに16-17シーズンからイングランドのマンチェスター・シティの監督に就任することが発表され、現在に至ります。


という、彼の来歴を紹介したところで
結構な文字数になってしまったので彼の監督としての采配などについてはまた次回、ということで……



せっかく一記事使って采配について書くので出来れば掘り下げていきたいです〜 


わせい

ついったー

 

スポンサーリンク