日本語に訳すと「修辞技法」。小難しい学問みたいだ。20歳半ばに、佐藤信夫さんの本を読んだ。「レトリック感覚」。舐めるように文字を追った。正確には「レトリック認識」と「レトリックの記号論」も合わせて3冊。すべて講談社学術文庫から発売されている。
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Photo:Wikipeinting Public domain

レトリックとは?・ω・

レトリックは文章をパターン化したものだ。中学や高校で習う文法とは少し違う。現代国語の文法は皮膚感覚で逃げていた。決まりごと。ものすごくものすごく苦手なんだよね。「ものすごく」を繰り返してみた。これ、修辞法では反復法と呼ぶ。強調するときにつかう。

身近なレトリックは比喩かな?

比喩には直喩と隠喩がある。「ぼくは、あまりの嬉しさで、天使のように宙を飛んだ」。これが直喩。「ぼくは、すかさず、頭のポケットにメモをした」。これが隠喩。隠喩は細かく分けることができるけれど、長くなるのでやめておく。比喩は小学生で習うレトリックのひひとつだと思ってくれたら、それでいい。

「レトリック感覚」は、まず、タイトルに惹かれた。毎日のようにカバンやポケットに入れていたので1冊目の「レトリック感覚」はボロボロになった。すぐに2冊目を買いに行ったよ。




レトリックは面白い!

「あぁ、この文章(段落)、すごく好みだな……」。これは感覚だけの読み方だ。読者としては何の問題もない。でも、自分自身は不満一歩手前ぐらいの違和感があった。「これ、イイ!」で終わらせたくなかったんだよね。なぜ、自分が「これ、イイ!」と思ったのか、それをものすごくものすごく知りたかった。

レトリックは西洋の文化だ。日本語で発展してきた分野ではない。修辞学は古代ギリシアまで遡る。紀元前の話だ。日本にレトリックが輸入され、古来の日本語で使用されていた文体(短歌や俳句など)と混ざった。作家たちは貪欲に取り入れた。でも、日本語って繊細だもんね。混ぜ合わせるのは困難だったと想像する。

現代文学の成り立ちにレトリックは欠かせない要素だ。

そう、思っている。「レトリック感覚」は現代文学への入門編としても、よくまとめられた著書だ。続編?である「レトリック認識」も速攻、手に入れた。




レトリックって意味あるのん?・ω・


「レトリック」を「数学」や「芸術」などに置き換えてもいい。日常を過ごしていて役に立つのかどうかは本人次第だ。空腹を満たすものではないからね。「レトリックって意味あるの?」。答えは、要ると思えば要るし、要らないヒトは要らない、になる。

自分は要るヒトだった。

それだけだよ。

ヒトは考える知性というものを身につけた。思考はヒトを発展させた、たぶんね。長年、多くのヒトによって蓄積された叡智を大切にしたいと思っている。レトリックもそのひとつだ。「レトリックの記号論」のタイトルになっている記号論もヒトの思考が産み出した。この3冊は絶対に手放せない。




日本語って難しい~!でも面白い!


言葉を選ぶこと。その言葉を紡ぎ文章を積み重ねていくこと。その文章を数珠のように繋ぎ、物語や論説を浮かび上がらせること。日本語は難しい。書いてある内容を読み取れないほうが多数派だと思う。日本って、日本語って悩ましいものだよね。

文章を書く方や読書が趣味の方は、ぜひ、手にとって欲しい本。それが「レトリック感覚」(佐藤信夫)だ。「あ、あの小説の文章、こういう意図があったんだ」という新鮮な気付き。「レトリック感覚」を読んでいなければ、おそらく、そんな「感覚」を得られなかったような気がする。

だいじょうぶ。決して、小難しくないからね。マジ、オススメ!

この記事を書いた人

yosh.ash

文章と音楽。灰色の脳細胞です。
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